こんにちは、レイレイです。デイサービスの相談員になって、気づけば10年が経ちました。毎日同じ建物の、同じご利用者と、同じ仲間と過ごしていると、ふと「自分の現場のことしか見えていないな」と感じる瞬間があります。
「いまの介護のやり方が、当たり前」——そう思い込んで毎日を回していました。でもある日、デンマークから帰国したケアマネジャーさんとお話する機会があって、世界では介護の景色がずいぶん違うことを知りました。
この記事では、世界各国の介護のかたちをやさしくご紹介しながら、日本の現在位置を一緒に確かめていきます。「Think globally, act locally」——世界を知って、足元の現場を見直す。そのきっかけになればうれしいです。
なぜ今、世界の介護を知るのか
世界には、日本とは違う介護のかたちがいくつもあります。北欧では「ご本人ができることを、スタッフが奪わない」のが常識。ドイツは介護保険のおじいちゃんで、家族介護に現金を支給する仕組みを持っています。オランダでは小さなチームが地域でケアを担う「ビュートゾルフ」という方式が、世界中から注目を集めました。
世界を知ることは、いまの自分のやり方を否定することではありません。むしろ「私たちの強みは何か」「これから何を変えていけるのか」が、すこしずつ見えてきます。
10年目の私が、世界を知ることでようやく言葉にできた気づきを、ここから順番にお伝えしていきます。難しい制度の話はできるだけ削って、現場の方が「明日の朝、ちょっと違うふうに動けるかも」と思える話だけ、選んで書いていきます。
北欧モデル:「奪わない介護」という哲学
スウェーデンとデンマーク。北欧の介護でいちばん印象的なのは、「ご本人ができることを、スタッフがしてしまわない」という徹底ぶりです。
たとえばデンマークでは、ヘルパーさんが訪問しても、ご本人が時間をかけてご自分でズボンを上げているなら、手を出さずにそっと見守ります。日本だと「お手伝いしますね」が当たり前ですが、向こうでは「手を出すこと=その人の力を奪うこと」と考える文化が根づいているそうです。
この発想を支えるのが「リエイブルメント(Reablement)」という考え方。ご本人の「できる」を取り戻すために、ケアの最初の数週間は集中的にリハビリ寄りの支援を入れる——それが当たり前の制度として組み込まれています。最初に手厚く支えて、ご自身の力を引き出してから、必要な分だけ寄り添う。日本の在宅でも応用できる発想だと、私は思っています。
スウェーデンでは1992年の「エーデル改革」で、高齢者ケアの責任を市町村にぐっと寄せました。在宅で暮らし続けることが基本で、施設はあくまで最終手段。介護を担う人の専門性は高く評価され、社会的にも尊敬される職業として位置づけられています。
たとえば、退院後すぐの方には、最初の数週間で集中的にリハビリと生活訓練を入れます。その期間に「ご自宅でひとりでお食事を準備できる」「ご自分で身支度ができる」を取り戻していただく。最初に手厚く支えるからこそ、その後の介護量がぐっと減る——医療の世界で言うところの予防医療に近い発想を、生活ケアに持ち込んでいるんですね。「最初に時間をかける」が、結局いちばん人にも財布にもやさしい、という発想です。
ご本人の尊厳を守るとは、できることを奪わないこと。
この一言が、私の中ではいまも残っています。お風呂の介助で、つい先回りしてタオルに手が伸びる自分を、ふと止められるようになりました。
ドイツ:介護保険のおじいちゃん
日本の介護保険制度(2000年スタート)の手本のひとつが、ドイツです。ドイツの介護保険(Pflegeversicherung)は1995年に始まり、世界で最初に「介護を社会全体で支える」と決めた国のひとつでした。日本の制度が後発で参考にしたのも、よく知られています。
ドイツの大きな特徴は、「現金給付」という仕組みがあること。家族がご本人を介護するときに、その家族に直接お金が支払われる選択肢があるのです。「家でご家族が看る」という選択を制度が支える発想は、日本にはあまりないものです。
要介護度の判定は、医療保険のメディカルサービス(MDK/現MD)という第三者機関が担います。ケアマネジャーがプランを立てる日本とは少し違って、判定と支援計画の役割がより独立しているのが特徴です。
現金給付には光と影があります。光は、ご家族が介護に関わる時間を社会的に評価できること。影は、その現金がご家族の「代わりに我慢して」のサインになりかねないこと。だからドイツでは、現金給付を選んだご家庭にも、定期的にケアの専門家が訪問してチェックする仕組みが組み込まれています。お金を渡して終わり、ではないんですね。
もちろん完璧ではありません。家族介護者の燃え尽き、外国人ケアワーカーへの依存、施設の人手不足といった課題は、日本と同じように抱えています。それでも「介護を国の制度として支える」その原型を作った国として、ドイツは介護のおじいちゃんなんだなあと、私はひそかに思っています。
オランダ:ビュートゾルフという小さな革命
オランダのビュートゾルフ(Buurtzorg)。日本ではあまり知られていないかもしれませんが、世界中の介護関係者が憧れる仕組みです。
2006年、看護師のヨス・デ・ブロックさんが立ち上げました。「ご利用者と看護師さんの間にある、たくさんの管理層をぜんぶなくしてみよう」——そんな発想で。
ビュートゾルフのチームは、看護師さん・介護職員さんが10〜12人ほどの小さな単位。マネジャーはいません。シフトも、どなたを担当するかも、すべてチームで話し合って決めます。事務作業はITツールで最小限に。だからスタッフは、ほとんどの時間をご利用者と過ごせます。
- マネジャーをなくす(自律したチーム)
- 事務はITで圧縮する
- 判断はチームに任せる
- 結果として、ご利用者の満足度が高く、スタッフの離職が少ない
私が驚いたのは、ITの使い方です。日本だと「DX」というと記録の電子化や請求業務の効率化に話が向きがちですが、ビュートゾルフでは「現場のチームが動きやすくなるための道具」としてITを設計しているそうです。スケジュール、ご利用者情報、チーム間の連絡。全部スマホで完結する。だから一日のうち、机に向かう時間がほとんどない。「ITは現場のため」という当たり前を、ちゃんと実装している国があるんだ、と思いました。
結果として、ご利用者の満足度は高く、スタッフの離職率は低く、しかもケアコストは抑えられた——そんな評判が世界中で話題になりました。日本でも一部の事業所が取り入れ始めていますが、診療報酬や介護報酬の枠との折り合いはなかなか難しい、というのが正直なところです。
現場のプロを信じて、判断を任せる。
ビュートゾルフが教えてくれるのは、本当はとてもシンプルなことだと、私は思います。「現場をいちばんよく知っているのは、現場の人」——その当たり前を、制度として組み立て直したのがオランダなのです。
韓国と台湾:アジアの介護仲間
ヨーロッパだけが参考になるわけではありません。アジアの介護も、日本にとってとても大事な参照軸です。
韓国は2008年に「老人長期療養保険」をスタートさせました。日本の介護保険制度を参考に、独自にアレンジした仕組みです。家族介護を支える現金給付や、認知症ケアに特化した拠点づくりなど、国の文化と家族観に合わせた工夫がたくさん見られます。日本より制度が新しいぶん、ICTの活用に積極的なのも特徴です。
台湾は2017年に「長期照顧2.0」という制度を始めました。地域包括ケアに近い発想で、コミュニティの中に小さなケア拠点(A・B・C級)を張り巡らせていく仕組みです。家族や地域の支え合いを大事にしながら、専門職が後方から支える——日本の地域包括ケアと、よく似ています。
日本・韓国・台湾は、急速な高齢化を迎えるアジアの仲間として、お互いから学び合える関係です。「日本が手本」だった時代から、「お互いに教え合う」時代に、もう移っているのかもしれません。私はこのことに、すこしホッとしています。一方通行で教える側でいるより、対話のほうが、ずっと健全なはずだから。
日本の現在位置:強みと、ほどけない結び目
ここで日本に目を戻します。
日本の介護保険制度(2000年スタート)の最大の強みは、ほぼ全員が同じ条件で介護サービスを使えること。所得や地域でケアの中身が極端に変わらない——この皆保険的な仕組みは、世界に誇れる資産です。
予防給付やケアマネジャー制度、地域包括ケアの考え方も、世界から見るとかなり丁寧に組まれています。北欧やドイツの研究者が日本を視察に来るのは、この丁寧さに学びにきている側面もあるそうです。
一方で、ほどけない結び目も抱えています。
- 介護現場の人手不足——求人を出しても、なかなか応募がない。
- 給与水準——同じ国家資格の他職種と比べて、まだまだ低い。
- 業務の煩雑さ——記録、書類、会議。ご利用者と過ごす時間が削られていく。
- 現場の閉塞感——「変えたいけど、変えられない」という声が、相談員仲間からよく聞こえてきます。
世界の事例を並べると、日本の介護は「制度はよくできているのに、現場が苦しい」というアンバランスを抱えていることがわかります。北欧のような専門職としての扱いには遠く、ビュートゾルフのような現場裁量も限られている。ドイツのように家族介護にお金が出る仕組みもありません。
でも私は、悲観だけしているわけではありません。日本の現場には、世界が学べる丁寧さがあります。ご家族との関係づくり、季節の行事、口腔ケア、レクリエーション、看取りまでの寄り添い——きめ細かさは、世界に出しても引けを取らないと、相談員10年目として胸を張りたいところです。
たとえば、ご利用者がデイで作った折り紙をご家族にお渡しするとき、ご家族の表情がふっとほどける瞬間があります。あの「ものを介した気持ちの橋渡し」は、日本の現場が積み上げてきた、たぶん世界に類のない技術です。北欧の効率や、オランダの自律と並べたとき、私たちにも誇れるものがちゃんとある——そう思っています。
つまり日本の現在位置は、「世界に学べる強みと、世界から学ぶべき弱みが、両方ある」場所。ここを正しく見定めるところから、たぶん次の一歩が始まります。
大切なのは、強みを誇りすぎないこと、弱みに絶望しないこと。両方を冷静に見て、現場で動かせる小さなレバーを探す。自分なりに調べてみると、共通して見えてきたのは「日本も悪くない、でも変えるべきところはある」というフラットな言い方でした。極端に憧れもせず、極端に嘆きもしない——その目線を私も持ちたいなと、最近よく思います。
Think globally, act locally:明日からできること
世界を知って、では明日から何ができるのか。
正直に言うと、私にはドイツの保険制度を変えることも、ビュートゾルフを日本に持ち込むこともできません。それは政治家や経営者の仕事です。
でも、自分の現場でできることは、たぶんまだあります。
- ご本人ができることを、つい先回りしていないか、立ち止まる(北欧から)
- 「業務」「対応」ではなく「お一人おひとり」と呼ぶ言葉を選び直す
- 同僚の判断を信じて、任せてみる(オランダから)
- 記録は最小限に、ご利用者と過ごす時間を1分でも増やす工夫をする
- ご家族の介護の負担も、もう少し言葉にして共有してみる(ドイツから)
世界の事例は、こんなふうに小さく落とし込んだとき、ようやく自分のものになります。本で読んだだけ、ニュースで見ただけでは、現場は変わりません。
私は最近、お風呂介助のときに「タオルどうぞ」と先回りせず、5秒だけ待つようにしています。ほんの小さなことです。でもその5秒で、ご利用者がご自分でタオルに手を伸ばすのを待てる日が、すこしずつ増えてきました。北欧の「奪わない哲学」が、私の現場ではこのかたちで降りてきました。
会議のあり方も少し変えてみました。以前はリーダーがすべて決めていた申し送りを、現場の介護職員さんに「どう思います?」と聞く時間を増やしました。最初はみんな戸惑っていましたが、3ヶ月もすると、ご利用者の小さな変化に気づく目が、明らかに増えてきました。これは、ビュートゾルフを真似た、というより、ビュートゾルフの考えに励まされて、ようやく踏み出せた一歩でした。
「Think globally, act locally」——もとは環境運動の言葉ですが、介護の現場にもぴったりだと、私は思っています。世界を見上げて、それから足元を見直す。その往復が、たぶん私たちのケアを、すこしずつ豊かにしてくれます。
おわりに
世界の介護を駆け足でめぐってきました。北欧の「奪わない哲学」、ドイツの介護保険のルーツ、オランダの小さな革命、そして日本の現在位置。
知れば知るほど、自分の現場が小さく見える日もあります。でも同時に、自分の現場でしかできないことが、はっきりしてくる感覚もあります。北欧のような効率では負けるかもしれない。オランダのような自律も、まだ手に入らない。それでも、ご利用者の手をそっと握って一緒に夕陽を見る時間を、誰よりも大事にしているのは、たぶん日本の現場です。
私はこれからも、デイサービスの相談員として、目の前のおひとりおひとりと向き合っていきます。世界は大きく、私はずいぶん小さい。それでも、その小ささのなかで、できることはきっとある——そう信じて、明日も現場に立ちます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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—— レイレイ(デイサービス相談員)
👤 この記事を書いた人
レイレイ|デイサービス生活相談員(11年目)
介護福祉士/兵庫県内のデイサービスで現役勤務
赤字経営のデイサービスを黒字化した経験から、稼働率改善・AI活用・記録業務の時短など、現場で本当に使える工夫を発信中。「教科書には載っていない現場のリアル」をお届けします。


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